本日は、労務管理の話題です。
経済産業省に勤務するトランスジェンダーの職員のトイレ使用について、7月11日に最高裁の判決が言い渡されました。
とても大きく報道されたので、皆さんご存じの話題と思います。
正確に理解するのが難しい判決なので、当ブログでも少し解説をしておこうと思います。
まず、最高裁判決を読むときに知っておきたい基礎知識です。
最高裁判決には、「法理判決」と「事例判決」があるといわれています。
「法理判決」とは、その裁判の具体的事案だけでなく、類似の事案についても通用する、一般的なルール(規範)を示す内容の判決です。
この「規範」のことを、法律学の通たちは、ラテン語で "ratio decidendi"(レイシオ・デシデンダイ)と呼んだりします。かっこいいですね。
最近の労働法関係の最高裁判決で「法理判決」に当たるものとして、いわゆる同一労働・同一賃金に関する判決が挙げられます(ハマキョウレックス事件、最高裁H30.6.1判決)。
いくつかの規範を示した判決なのですが、例えば、次の判示は、労働契約法20条(現パート有期法8条)の適用を主張する事案で、一般的に通用するルールを示しています。
「同条は、有期契約労働者について無期契約労働者との職務の内容等の違いに応じた均衡のとれた処遇を求める規定であり、文言上も、両者の労働条件の相違が同条に違反する場合に、当該有期契約労働者の労働条件が比較の対象である無期契約労働者の労働条件と同一のものとなる旨を定めていない。
そうすると、有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が同条に違反する場合であっても、同条の効力により当該有期契約労働者の労働条件が比較の対象である無期契約労働者の労働条件と同一のものとなるものではないと解するのが相当である。」
この判決によって、有期契約労働者の労働条件が労働契約法20条(現パート有期法8条)に違反する場合でも正社員と同じ労働条件になることはないという点は、同条が問題となる全ての事案に共通するルールになったわけですね。
これに対して、「事例判決」は、その裁判で問題となっている事実関係を前提にした判断であり、類似の事案に共通するルール(規範)を示さない判決を指します。
全く同じ事案の訴訟があれば同じ判断になるけど、少しでも事実関係が異なればどんな判断になるかわかりませんよ、ということですね。
7月11日の最高裁判決は、「事例判決」に当たるものなので、この原告が提起したこの訴訟に限った判断であり、トランスジェンダーとトイレの問題についてのルールを示したものではありません。
今回の判決について、たくさんの方がいろいろなコメントをされていますが、判決の意味を正確に理解する前提として、「事例判決」であることを理解しておく必要があります。
前置きが長くなりましたが、7月11日判決の事実関係のポイントを見ていきましょう。
◇原告になったは、次のような方です。
・経済産業省の職員である
・生物学的な性別は男性で、戸籍上の性別も男性だが、性自認は女性で
ある(M t F のトランスジェンダー)
・性同一性障害である旨の医師の診断を受けているが、健康上の理由から
性別適合手術を受けていない。したがって、戸籍上の性別を変更することが
できない
・女性ホルモンの投与を受けており、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い
旨の医師の診断を受けている
・私生活でも職場でも、女性として生活している
◇経産省及び人事院がとった措置は、次のとおりです。
・原告の了承を得て、同じ部署の職員に対し、原告の性同一性障害について
説明会を開いた
・所属する部署から2階以上離れた女子トイレの使用を認める(同じ階と
隣の階の女子トイレの使用はできない)
※最高裁判決では触れられていませんが、控訴審判決からは、女子更衣室・
女子休憩室の使用は認められていたことがうかがわれます。
◇上記説明会で、担当職員には数名の女性職員が違和感を抱いているように
見えたのですが、明確に異を唱える職員はいませんでした。
◇2階以上離れた女子トイレの使用を4年以上続けましたが、トラブルが生じた
ことはありませんでした。
最高裁は、こういった事情を丁寧に確認した上で、2階以上離れた女子トイレの使用しか認めない措置は、「本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びに上告人を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。」として、違法と判断しました。
長々と書いてきましたが、今回の判決は、上記のような事情がある場合には、2階以上離れた女子トイレの使用しか認めない措置は違法だとしたものです。
例えば、国家公務員ではなく民間企業だったらどうなのか、労働者ではなく学生・生徒の事案だったらどうなのか、性別適合手術を受けられる健康状態だが自分の意思で受けていない場合はどうなのか、女性ホルモンの投与を受けていなかったらどうなのか、女子トイレの使用に明確に異を唱える女性職員がいたらどうなのか、F t M のトランスジェンダーだったらどうなのか、などの疑問については、全て謎です。
今回の最高裁判決は、トイレなどの公共施設の使用の在り方そのものについて判断した判決ではないので、少なくとも法理論的には、先例としての価値は大きくありません。
ただ、実務的には、どの組織でも起こり得る問題に対して、一石を投じる判決であることは間違いなさそうです。
判決の全文を裁判所のウェブサイトで読むことができるので、興味のある方はどうぞ。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/191/092191_hanrei.pdf
執筆:弁護士 小國隆輔
※個別のご依頼、法律顧問のご相談などは、当事務所ウェブサイトのお問い合わせフォームからどうぞ。
経済産業省に勤務するトランスジェンダーの職員のトイレ使用について、7月11日に最高裁の判決が言い渡されました。
とても大きく報道されたので、皆さんご存じの話題と思います。
正確に理解するのが難しい判決なので、当ブログでも少し解説をしておこうと思います。
まず、最高裁判決を読むときに知っておきたい基礎知識です。
最高裁判決には、「法理判決」と「事例判決」があるといわれています。
「法理判決」とは、その裁判の具体的事案だけでなく、類似の事案についても通用する、一般的なルール(規範)を示す内容の判決です。
この「規範」のことを、法律学の通たちは、ラテン語で "ratio decidendi"(レイシオ・デシデンダイ)と呼んだりします。かっこいいですね。
最近の労働法関係の最高裁判決で「法理判決」に当たるものとして、いわゆる同一労働・同一賃金に関する判決が挙げられます(ハマキョウレックス事件、最高裁H30.6.1判決)。
いくつかの規範を示した判決なのですが、例えば、次の判示は、労働契約法20条(現パート有期法8条)の適用を主張する事案で、一般的に通用するルールを示しています。
「同条は、有期契約労働者について無期契約労働者との職務の内容等の違いに応じた均衡のとれた処遇を求める規定であり、文言上も、両者の労働条件の相違が同条に違反する場合に、当該有期契約労働者の労働条件が比較の対象である無期契約労働者の労働条件と同一のものとなる旨を定めていない。
そうすると、有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が同条に違反する場合であっても、同条の効力により当該有期契約労働者の労働条件が比較の対象である無期契約労働者の労働条件と同一のものとなるものではないと解するのが相当である。」
この判決によって、有期契約労働者の労働条件が労働契約法20条(現パート有期法8条)に違反する場合でも正社員と同じ労働条件になることはないという点は、同条が問題となる全ての事案に共通するルールになったわけですね。
これに対して、「事例判決」は、その裁判で問題となっている事実関係を前提にした判断であり、類似の事案に共通するルール(規範)を示さない判決を指します。
全く同じ事案の訴訟があれば同じ判断になるけど、少しでも事実関係が異なればどんな判断になるかわかりませんよ、ということですね。
7月11日の最高裁判決は、「事例判決」に当たるものなので、この原告が提起したこの訴訟に限った判断であり、トランスジェンダーとトイレの問題についてのルールを示したものではありません。
今回の判決について、たくさんの方がいろいろなコメントをされていますが、判決の意味を正確に理解する前提として、「事例判決」であることを理解しておく必要があります。
前置きが長くなりましたが、7月11日判決の事実関係のポイントを見ていきましょう。
◇原告になったは、次のような方です。
・経済産業省の職員である
・生物学的な性別は男性で、戸籍上の性別も男性だが、性自認は女性で
ある(M t F のトランスジェンダー)
・性同一性障害である旨の医師の診断を受けているが、健康上の理由から
性別適合手術を受けていない。したがって、戸籍上の性別を変更することが
できない
・女性ホルモンの投与を受けており、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い
旨の医師の診断を受けている
・私生活でも職場でも、女性として生活している
◇経産省及び人事院がとった措置は、次のとおりです。
・原告の了承を得て、同じ部署の職員に対し、原告の性同一性障害について
説明会を開いた
・所属する部署から2階以上離れた女子トイレの使用を認める(同じ階と
隣の階の女子トイレの使用はできない)
※最高裁判決では触れられていませんが、控訴審判決からは、女子更衣室・
女子休憩室の使用は認められていたことがうかがわれます。
◇上記説明会で、担当職員には数名の女性職員が違和感を抱いているように
見えたのですが、明確に異を唱える職員はいませんでした。
◇2階以上離れた女子トイレの使用を4年以上続けましたが、トラブルが生じた
ことはありませんでした。
最高裁は、こういった事情を丁寧に確認した上で、2階以上離れた女子トイレの使用しか認めない措置は、「本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びに上告人を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。」として、違法と判断しました。
長々と書いてきましたが、今回の判決は、上記のような事情がある場合には、2階以上離れた女子トイレの使用しか認めない措置は違法だとしたものです。
例えば、国家公務員ではなく民間企業だったらどうなのか、労働者ではなく学生・生徒の事案だったらどうなのか、性別適合手術を受けられる健康状態だが自分の意思で受けていない場合はどうなのか、女性ホルモンの投与を受けていなかったらどうなのか、女子トイレの使用に明確に異を唱える女性職員がいたらどうなのか、F t M のトランスジェンダーだったらどうなのか、などの疑問については、全て謎です。
今回の最高裁判決は、トイレなどの公共施設の使用の在り方そのものについて判断した判決ではないので、少なくとも法理論的には、先例としての価値は大きくありません。
ただ、実務的には、どの組織でも起こり得る問題に対して、一石を投じる判決であることは間違いなさそうです。
判決の全文を裁判所のウェブサイトで読むことができるので、興味のある方はどうぞ。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/191/092191_hanrei.pdf
執筆:弁護士 小國隆輔
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